年生まれ。ジュリアン・マリネッティはパリのサンジェルマンデプレのセーヌ河近くで育った。写真家である父と、演劇と舞踊の学校の校長である母から、ジュリアンは文化と学識を受け継いだと言えるだろう。幼い頃から、遊び場はルーヴル美術館の廊下や展示室だった。のちに、巨匠の作品を模写し、ギリシャ古代やローマ古代の作品を知り、イタリアルネサンス期の作品たちに魅了されて行くのだった。

近所のセーヌ川のコンティ河岸の古本屋さんたちは、アートや哲学、歴史の本を快く彼に貸してくれた。祖父はイタリア人でアマチュアの画家で、ジュリアン・マリネッティに最初の油絵の具をプレゼントする。初めてのキャンバスは、古いダンボールに貼り付けた布巾で、そこに試し描きをしたのだった。ブロンズの彫刻を知ったのは、近所に住んでいた芸術アカデミー(アカデミー・デ・ボザール)会員の彫刻家、ポール・ベルモンドのアトリエでのことだった。ジュリアン・マリネッティは彫刻作品を作成するために古いオブジェを集めたり、細工を施したり、リサイクルしたりしていた。そして、午後の大半はアカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエールにこもってヌードデッサンや学術的デッサンを学ぶ。

国立高等美術学校(通称ボザール)に入学するが、数日後には自身でアーティストの道を切り開くことを決心して退学する。彫刻と絵画にとどまらず、エッチングや陶芸、ステンドグラスの技術も磨いて行く。

ジュリアン・マリネッティは彼の情熱にあるインスピレーションを描く。特に、ピエール・パオロ・パゾリーニの1961年の伝説的な作品「アッカトーネ」にインスパイアされ、特にポーズと3人の主人公の分析に注意を払い木材に絵を描いた作品を制作する。

Biographie et portrait de Julien Marinetti, peintre et sculpteur

少しずつこれらの主題の様相は薄れて行き、1994年の「ある社会の解剖学に基づいた展開」と題した展覧会によりそれが顕著に現れる。そこに展示された作品群は、社会的かつ感情的貧困に打ちひしがれる名もなき群衆のシーンで、主題だけがカラーで描かれた。絵画は額装がない状態で展示され、あるがままの側面を突きつけられるのだった。肉体は徐々に別の主題となり、次の作品で頭が消え、ヘンリー・ムーアの作品に見られるようなシルエットが浮かび上がってくるのだ。容積や光と影が織りなす作品をより際立たせる。ジュリアン・マリネッティの作品のシンボルとテーマ、手と足が偏在するのだ。「手足というものは全世界であり、全体を為すものである」、と彼は言う。誕生であり、磔刑図であり、オダリスクなのだ。

1990年代はじめ、ジュリアン・マリネッティは芸術家のジャン・ドヴァーヌと知り合う。ジャン・ドヴァーヌの従来の概念を覆す反彫刻の姿勢は、将来の制作活動の指針となる。とりわけバウハウスのヨハネス・イッテンやその他の芸術家たちに実証されている色彩理論に基づき、ジュリアン・マリネッティは色彩への探究心を更に深めて行く。

Biographie et portrait de Julien Marinetti, peintre et sculpteur
Biographie et portrait de Julien Marinetti, peintre et sculpteur

油絵とアクリル画に数年を費やした後、ジュリアン・マリネッティは新たに彫刻に取り組んで行く。絵画的な彫刻作品は、新たな転換期を迎える。このようにして、パリのジャン・メルモズ通りのギャラリーLCにおいて、フレンチ・ブルドッグのドギー・ジョンというリアリストなブロンズ作品の初の展覧会が開催される。展示作品はあっという間に売れるのだった。ドギー・ジョンはあっという間に話題となり、アイコンとなり、コレクター達が列をなしたのだ。ジュリアン・マリネッティは、コラージュと絵画のテクニックを混ぜ、ヘラルド・トリビューン紙をベースにその記事をコラージュした作品や、キース・ヘリングやアンディ・ウォーホルへのオマージュ・シリーズを制作して行く。

ジュリアン・マリネッティは解放され、彫刻作品は絵画の表現手段として優先されていく。彼自身はこれを「アートのシンクレティズム」と名付ける。「私は純粋な立体感を客観的に見たいと思うのです。また、制作活動を通して絵画自体の組成は二次元ではなく三次元なのだと理解しました。彫刻作品において、アーティストは制作中の作品そのものを物理的にあらゆる角度から見ることができます。ピカソも同様で彫刻作品を入念に仕上げるという制作活動を行なった時期がありました。彼は絵画に戻るために彫刻をやめたのです。私の制作活動はある種、似たような方程式なのです」。オブロンズ作品の制作は、クマのテディ、ダックのクワック、パンダのバ、特大サイズのスカルと続いて行く。仕上げは陶磁器のように滑らかで美しく、色彩が爆発しており、エッチングと、ジュリアン・マリネッティにしかできないパリンプセストに基づいているものなのだ。

これらの作品はあっという間に世界中の街に飾られることとなった。パリ、ロンドン、ニューヨーク、シンガポールといった大都市だけでなく、クールシュヴェルやマラケシュ、カルヴィといった神秘的な街にもあるのだ。

ジュリアン・マリネッティは絵画作品にも力を入れており、そのテーマもサイズはますます壮大になっている。ギリシャ神話の場面を長きに渡り描いたシリーズや、エドゥアール・マネ「草上の昼食」やラファエロ・サンティ「三美神」といった大作にオマージュを捧げるシリーズなどがある。ジュリアン・マリネッティは、淡々と二次元と三次元の作品の間を行ったり来たりするのだ。

師と仰ぐ巨匠たちに深く影響を受け、ジュリアン・マリネッティは彼らの作品を心から尊敬しており、ピカソやマティス、レジェ、ムーア、ベーコンらの系譜を受け継いでいる。彼の活動のベースは、創造力とポエジーの芸術であり、高い技術と切ってもきれないものなのだ。